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満寿屋でござーい!

満寿屋のつけ麺 200g×2 魚介香スープ+魚粉付 570円(税込)
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    | 新製品発売 | 00:20 | - | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
    ★★つけめん 新発売!!2食 魚介香スープ(2人分)+魚粉付 570円(税込)★★
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      あの有名つけめん店の味がご家庭で楽しめます。

      なんと、1食200g(2.4mm幅)とボリュームたっぷり!!

      魚介香スープ魚粉がついて、つけめん通も唸った! 

      満寿屋では、もうすでにリピータが多数来店!


      つけ麺セット内容:
      麺: 200g×2 
      麺幅:2.mm
      魚介香スープ:1(2人分)
      魚粉:1

      1セット 570円

      | - | 18:08 | - | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
      そばとうどんの歴史3
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        饂飩(うどん)  
         そもそも、うどんというのは、奈良時代に中国より朝鮮を経由して日本に輸入された
        菓餅(唐菓子)十四種の内の一つで元はこんとんというものでした。 

         これは、小麦粉の煮団子で汁の中でつかみにくく、コロコロとしているところから混沌と呼ばれ、
        さらに熱く煮て食らうという意味から転じて饂飩(うんどん)になったのだといわれています。.

         そしてさらに一般ではウンドンをウドンと呼びやすく呼んだのでしょう。
        しかし元々の饂飩というものは今のうどんとは似ても似つかぬもので、

         野菜や肉を包んで丸め肉汁に浮かせた物のことで、早い話しが丸い水餃子みたいなものですね。
        そこで今のうどんの元祖はほうとうの方であろうといわれています。

        このほうとうも唐菓子十四種の内の一つで別に不托(ふたく)とも呼ばれています。

        これは、包丁とまな板のなかった時代、みな手の平でおして薄く伸ばした
        掌托(しょうたく)を行なっていたものが、その後、包丁と
        まな板を使うようになり掌托をしなくなったので不托と呼ぶようになったのです。

        つまり、武田信玄で有名になった山梨名物の『ほうとう』とは正にこのことで、奈良・平安期には
        すでに存在していたのですね。そして、このほうとうから発したものが『ひもかわ】
        『きしめん』と呼ばれる平うどんであろうと云われています。
        | 満寿屋通信 | 11:29 | - | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
        そばとうどんの歴史2
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           江戸初期の寛永年間に南都東大寺に来た客僧『元珍』がそばのつなぎに
          小麦粉の応用を教えてからというもの、以来急速に発達してゆき、
          その二、三十年後にはそば粉八に小麦粉二の割合で作った『
          【二八そば】が誕生したわけです。

           そしてその後は様々なそばが生れ、江戸の町には「一町に五軒」といわれるまでに
          そば屋が増え、江戸の庶民の代表的な好物えとなっていったのです。

           酒を飲んだあとは蕎麦が一番昔からそばは体に良く、特に高血圧には効果がある、
          といわれています。
          それは、血圧降下に有効なルチンと肝硬変や発ガン防止に役立つコリンを
          含んでいるからです。

          さらに、他の穀物に比べ植物性タンパク質の含有量が多く、
          そのタンバタ価も白米 七二、小麦 四七に対し蕎麦は七二から七六となっているのを
          見ても、かなり良質のものです。

          ですから、特にお洒を飲む人は蕎麦をたくさん食べましょう。

          つづく
          | 満寿屋通信 | 11:12 | - | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
          そばとうどんの歴史
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             蕎麦(そば)日本におけるそばの栽培の歴史は以外と古く、
            少なくとも縄文時代の末には始められていたようです、
            これは、青森県三戸郡田子町の石亀遺跡からそばの花粉が
            発見されたことによります。

             十世紀になってようやく曽波牟岐(そばむぎ)』、『久呂無木(くろむぎ)』の言葉が出てきます。
             
            もちろんこの頃のそばは今のように麺の形はしておらず、ただ単に外皮を取り去った
            だけの粒のままで米や麦に混ぜて「そば飯」といったものが食べられていたようです。

             平安末期に救荒作物としてのそばの栽培方法について書かれたものが
            ある程度で、まだこの頃には広く普及するまでには到っていなかったようです。

             しかしこういったそばが鎌倉時代末期になると急ににぎにぎしく歴史の中に登場して
            きました。それは、急激な挽き臼の普及によるもので、そばが加工用の粉食として
            急激に注目されたからでした。

            このころに登場してきたものが『そばがき』や「そば団子』でした。

             麺として【そば切り】が登場してくるのは、まだずっと後の江戸時代
            まで待たなけばなりません.

             それは、そぱの本質が粘りに富むが熱すると切れやすいと
            いう性質によるもので、麺としての登場はうどんの方が早かったのです。

             そこで、そば切りにするために色々工夫がなされたようで、その苦労のあげく『友つなぎ』と
            いう方法が出来上がったのですが、あまり商品にはならなかったようです。 

            つづく
            | 満寿屋通信 | 11:27 | - | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
            ラーメン激戦地区横浜で生き残った究極の味はいかがですか
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              | ラーメン | 18:37 | - | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
              端午の節句とこどもの日
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                 五月五日はこどもの日

                「子供の人格を重んじ、子供の幸福を願うと共に母に感謝する。」と
                云うのが本来の趣旨です。

                この日は別に『端午の節句』とも呼ばれ、昔からの風習により5月人形

                や鯉のぼりを飾り、柏餅や粽子(ちまき)を食べ、さらに三月三日の雛祭りが

                女の子の節句であるのに対して、この五月五日の端午の節句は男の子の節句

                として祝ってきました。
                | 満寿屋通信 | 16:11 | - | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
                急募 パート・アルバイト 満寿屋
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                  ※製造・販売スタッフ
                  女性・学生・未経験者 OK
                  若干名

                  ※勤務日  月曜〜土曜日(週3日以上)

                  ※勤務時間 6:00〜17:00の間で3時間以上可能な方

                  ※時給   委細面談


                  お気軽にご連絡ください。

                  連絡先 622-8898
                  担当 金子 増男
                  | お知らせ | 16:20 | - | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
                  満寿屋のお赤飯(入園・入学・入社のお祝いに)02
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                    今でも、御赤飯のことを他に「おこわ」とも呼びますね。

                    この「おこわ」とは「強飯(こわめし、こわいい)」のことで、

                    皆さんもご存じのようにセイロで蒸し炊きしたお米のことをいうのです。

                    今は、餅米の場合にそのようにして作っていますね。

                     だからその方法で炊飯したものを強飯または、おこわと呼んでいました。

                    今で云えば御赤飯は祭礼、五節句また慶事賀儀用などお祝事のある時に

                    用いられていますが昔はそのような時は単に白い強飯を用いており、

                    赤小豆で赤く染めた赤いおこわ−御赤飯を用いるようになったのは江戸時代

                    の後期になってからのようです。

                    つづく
                    | 満寿屋通信 | 22:27 | - | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
                    満寿屋のお赤飯(入園・入学・入社のお祝いに)
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                       暑さ寒さも彼岸まで。お彼岸を過ぎると、いよいよ春本番!
                      陽気も日々暖かさを増し、気分も爽やかになってきますね。

                      4月は入園・入学あるいは新社会人としての第一歩の始まる季節ですね。

                      「ご入学おめでとう。」「新社会人おめでとう。」
                      と御赤飯をお祝いをしますね。

                      どうして私たちはお祝いの時に御赤飯をだすようになったのでしょうか。

                      古くから日本では、お米を主食にしてきました。

                      昔は今のようにお米を食べることができませんでした。

                      特に一般の農民たちにとっては、せっかく収穫したお米もその

                      ほとんどが年貢米として領主に差し出さねばならなかったからです。

                       普段はヒエやアワを食べ、お米は当時の人にとっては贅沢な食べ物で
                      中々食べることができませんでした。

                       収穫のあった時は先ず神様にお供えをして感謝しました。

                      お米のご飯はヒエやアワに比べて大変おいしくて元気が出るというので
                      不思議な食べ物とされてきました。

                      お祝事、節句、祭礼などのような特別の日のご馳走として
                      お米の御飯が出されたのでした。

                      そのような訳で今でも神棚へのお供えとしてお米の御飯が供えられます。

                      つづく
                      | 満寿屋通信 | 09:03 | - | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |